「普通」というのは考えたらどういうものなのかよく分からない
「平均」なら分かる
数値に置き換えられるから・・・
考えたら「一般的に」という言葉も実はあいまいだ
何をもってして「普通」なのか
何をもってして「一般的」なのか
例えば、オレが「普通にフルマラソンしてますよ」と言ったら
マラソンをしている人の中ではそれは「ふつう」だ
だけどもマラソンをしていない人にとっては「凄いね」ということになる
会話の中で「剣道やっているんですよ」といったら
必ず「何段ですか?」と聞かれるので
「七段」と答える
そうすると訊いた相手は「凄いですね」という
「大学の同期はほとんど七段で、八段もいますから普通です」と答える
別に得意気に話しているわけでもなく、本当に普通だ
つまり限定された集団の中では「普通」という言葉が
実は「ふつう」でないことが分かる
さて、そんなことを頭に入れながら
「サロマ湖100kmウルトラマラソン」の話になる
参加者の数は分からないが完走率が約77%で大会終了
制限時間13時間
今年のゴールデンウィークに「24時間走」経験して
1日目に9時間で68km走った
100kmに換算するとぎりぎりで完走できるかどうかのきわどいところ
一緒に走っていた仲間と「ふつう」に走った
この世界に入る前は100kmを走る人を「普通の人たちじゃない」と思っていた
でも現実にいろいろなランナーさんと話をしていて
ごく一般にいう「普通の人」が多い
もちろん若いころから長距離やスポーツ経験者もいるが
案外「運動音痴で何もやっていませんでした」という人が多いのに驚く
今のマラソンブームはゼロからの積み重ねでも記録が伸びることを実感して、のめり込む人が多いらしい
多くの技術を要求されないで(実は技術はいるのだけれど)
手軽にできるから年齢に関係なく、そして人間関係の上下もなく
楽しめるのだろう
月間100km越えたら「よくがんばった」と思えた10年前
ここ数年は月間200kmを越えなければ「サボったな」と思え
そのハードルは300kmにあがって
それが今の「ふつう」になっている
サロマへチャレンジする人たちはさらにハードルを上げ
1度の練習で30km~50kmを走るのが「ふつう」になる
体が治ってトレーニングを積んで「ふつう」に戻れたら
来年は「ふつう」にチャレンジするかもしれない
鎖骨が骨折しているにもかかわらず
毎日長いウォーキングが日課になっている
10km以上は当たり前で
今日は、峠越えの20kmを4時間半のウォーキングだった
気温がぐんぐんうなぎ登りだった今日だが
走らないので汗がにじむほどしか出ない
そういう体に「ふつう」になっている
本当に「ふつう」ってなんだろう
【本日のウォーキング】
琴似発寒川
五天山公園(ゆび邪魔ですが(笑)内のつくったパンを食べて休憩)
盤渓幌見峠から札幌市内を見下ろす
円山から下りてきた登山者
この恰好が登山者の普通の恰好
でも、228mの山にこんな恰好して登るのもどうだかと思う
ま、いいや 流行りやファッション先行で
今日もオレのスタイルは
「ふつうに」短パン、Tシャツだった
ますます「ふつう」が分からない
明日も天気いいらしい
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