多くの人が噴火をメディアを通してみている
「自然の力って凄いなぁ」とか「住人は大変だろうなぁ」とか
でも、そんなもんじゃないですよ
2000年3月31日の昼に噴火した有珠山
当時、虻田町(現洞爺湖町)に住んでいた僕たち一家は
避難生活を余儀なくされました
噴火の数日前から体に感じる地震が数え切れないほどで
下から突き上げられます
ほとんど寝ていられません
夜中に地震があると
そのつど、有珠山を見上げていたものでした
噴火の数日前から春休みになっていた子供たちを
ニセコひらふの定宿にしていた高木山荘に預けて
夫婦だけ虻田町で仕事をしていたのが安心だった
ともかくそれは3月31日の真昼間に起きたわけで
僕の職場が避難所に指定され
大わらわで準備した思いでがあります
僕ら一家も家から何も持たず体一つで避難したわけで・・・
結局、避難先の豊浦町でアパートを借り
1年間、避難生活をしたわけですよ
噴火で家が火口にのみ込まれたり、泥流で埋没した知人宅
洞爺湖温泉につながる幹線が隆起して山になり
雨水がせき止められ沼になる
こういうことがリアルタイムで起こっていきます
「噴火で死者が一人もいませんでした」と発表があったけど
避難所生活は過酷で
お年寄りがなくなったり、持病が悪化するなど
相当なストレスです
僕の持病もその時期から発生したので
避難所では、3食コンビニ弁当ですからね
栄養面でどうかな?
ペットも敏感でよく死んでいったことも思い出します
全国からの善意、支援は本当にありがたかった
特に、全国の農協関係から
新鮮な野菜や果物が配給された時は息を吹き返した思いがしました
その他にも、援助金やタレントの来訪など
霧島の噴火が早く終息することを願ってます
終息してから、通常の生活に戻るのも
相当な労力と時間がかかりますから・・・
噴火で被害を受けている方
頑張ってくださいね!
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