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2012年3月31日土曜日

Bon Voyage

昨年の7月以来 月間300kmをようやくだが突破した
右ハムに未だ違和感があるものの これには大きな意義がある
きちっと目標を達成できたという事実
諦めようとすれば、諦められた しかしそれはすべて自分に還ってくる挫折を意味する
最後はほとんど歩きに近い状態だったかもしれない
でも、最後まで足を止めることはなかった

最後の5日間で92.3km 

パーフェクトでもベストでもない そして答えのないものだったかもしれない
自分の中では『最善解』ということになる

あともう少しで一個人として始めるにはなんと素晴らしいことだろうと思う
昨夜は祝杯としてビールもどきを1本 これで十分だ

高松にいる息子と電話した
今年は閏年で四国のお遍路を逆回りするとご利益があるらしいから、暇になったら1ヶ月くらいかけて歩いてみるわ と言ったら
どうせもう暇なんだから早く来ればいいべさ と言われた
いやいや留萌のじいちゃんの畑のハウス建てやらなんやらあるんだわ
そして、4月2日から小笠原諸島に行くんだわ というと
いいね、小笠原の写メ送ってというリクエスト
という会話の中に 息子の優しさが感じられる
息子も自分の時間があったら自然の中に身を預けていた時期があった

そんなことを思いながら 旅支度
あらゆるデバイスを充電して  着替えを最小限にとどめる
持っていくつもりがなかったPCも結局持っていくことに・・・
洗面用具、アダプター類、スイムパンツ、ライト、薬など点検して詰める
25時間半の船旅 『海辺のカフカ』を選択した
旅、高松に住む息子、海 という極めてシンプルなキーワードだった

小笠原諸島の知識はほとんど持ち合わせていない
上陸したらとにかく歩き倒すだけ
まずは、ゲストハウスのロックウェルズへたどり着くところから始まる
そこで情報をもらいお一人様のトレイル

2日前まで吹雪予報もどうやら回避されたらしい
4月2日(月)の10:00に竹芝を出港する
穏やかな天気図になっている

非常にいい航海になるだろう
心の底から「泰安洋行」と言っている

♪ 月をよこぎる舟はとぶよ どこへゆくの
雲の彼方に浮かぶ島に ゆらり ゆらり
ゆらり ゆれるゴンドラは はこぶ子供の夢のせて
夜毎むかえにくる 舟が見えるかい ♪
Exotica Lullaby 
~細野晴臣「泰安洋行」~Exotica Lullabyより


また はらいそ満喫旅行になる

2012年3月29日木曜日

読書、考え方の一致

『ダンス・ダンス・ダンス』上巻読み終え 下巻に突入
『羊をめぐる冒険』続編と解釈していいのかまだ分からない
短編の『神の子はみな踊る』『踊る小人』的要素も含まれているような・・・
そして、またもやその後の作品を示唆する内容がちりばめられているような・・・

分からないけど そんな気がする

本を読んでいて カチッと自分のフレームにはまるピースが見ることができる
今回も今の気持ちを象徴するようなそんなやり取りが僕と牧村の間にある

『ダンス・ダンス・ダンス』上巻P411~
「みたところ君もなかなか頑固そうだな」と彼は言った
「頑固ではないです。僕は僕なりの考え方のシステムというものがあるだけです」
「システム」と彼は言った
「もうそういうものはあまり意味を持たないんだよ。手作りの真空管アンプと同じだ。手間暇かけてそんなもの作るよりオーディオショップに行って新品のトランジスタ・アンプを買った方が安いし、音だって良いんだ。壊れたらすぐ修理に来てくれる。新品を買う時には下取りだってしてくれる。考え方のシステムなんてどうこうなんて時代じゃない。そういうものが価値をもっていた時代もたしかにあった。でも今は違う。何でも金で買える。考え方だってそうだ。適当なものを買ってきて繋げばいいんだ。簡単だよ。その日からもう使える。AをBに差し込めばいいんだ。あっという間にできる。古くなったら取り換えりゃいい。その方が便利だ。システムなんてことにこだわると時代に取り残される。小回りがきかない。他人にうっとうしがられる」
中略 P414
「細かいことにいちいちこだわるくせに、大きなことには妙に寛大になる。そういうパターンが見える。おもしろい性格だ。そういう意味ではユキに似ているよ。生き延びるのに苦労する。他人に理解されにくい。転ぶと命取りになる。(後略)」

「突っ張ってるわけでもないんです」と僕は言った
「ダンスステップみたいなもんです。習慣的なものです。体が覚えているんです。音楽が聞こえると体が自然に動く。回りが変わっても関係ないんです。すごくややこしいステップなんで、まわりのことを考えてられないんです。あまりいろんなことを考えちゃうと踏み違えちゃうから。ただ不器用なんです。トレンディーじゃない」


「僕の考え方」も「牧村の考え方」も村上春樹の考え方が包含されている
読み手がどちらを選択するかという問題だ
もちろんオレは「僕の考え方」に類似しているわけだ

小説でも啓発本でも政治経済の新書でも
自分の考え方にカチッとはまることがあるが 
そこにとらわれないようにしないといけないと思いつつ

『ニーチェの言葉』の「チャンスは今だ」や
『論語』蓷也第六
「これを知る者は これを好む者に如ず
これを好むものは これを楽しむ者に如ず」

現実を見つつも夢を見るのもわるくない 
新たな1歩として「小笠原諸島」への旅行の選択は正しい
天気予報を見ると4月1日は吹雪の予報 春の嵐なのか?
週に1往復していない「小笠原丸」は2日に出港

なんでこんな時に春の嵐がピンポイントなのか分からない
分からないことが多すぎる・・・ 

2012年3月27日火曜日

平和の滝、春遠し

週末連夜の宴会 体がくたびれていた
今月の目標300kmにほど遠い数字になっていた
やばいなぁと思いつつ 昨日もしょぼい距離
今日は一丁やったるでー 的な気持ちになっていた
『ダンス・ダンス・ダンス』の進み具合もグータラ的であるが上巻終了間近
昨夜も眠くなる寸前まで読んで読書灯に手を伸ばす  おやすみzzz

今朝、4時半起床 早速ネットで日の出時間を確認 5:26
いつものようにコーヒーにミルクをたっぷり入れてブレイクタイム
天気がよさそうなので 日の出時間に合わせて家を出る
放射冷却でことのほか寒い(>_<)
久しぶりにシーズン中のホームコース農試公園周辺を走る
昨夜、降雪があったらしく途中はラッセル状態
今日の1本目 7.6km終了!

お風呂入って、韓国そば茶で2度目のブレイクタイムそして朝食
午前中は職場から運んできた書籍やPCを車から降ろして整理
そして本の続きを読む

午後から2本目 平和の滝迂回コース
街中の歩道はほぼドライ
シューズもトレラン用からスノーターサーへ変更
足取り軽く三角山へ向かい いつもどおり大野病院へ
天気がいい分 昨日より遊歩道の雪解けが良く走られた
途中はこんなところも(中州橋付近)
いつもは休憩を取らないけどまたしても途中から心拍数の上昇
中州橋の自販機で「元気はつらつオロナミンC」をゴクリ
気合入れ直して平和の滝へ向かうが 難所でまたもや心拍数の上昇(涙)
やっとこ着いた平和の滝
遊歩道封鎖中で川の近くまで下りられない 滝の一部は凍ってました
気持ちいいラン日和でした と終わりたいところだけど
迂回して帰るので残り11km
下りはテンポよく走ったけど スピード出し過ぎると右ハムが危険信号
ま、無理することないやと思いつつ
1時間くらいで家に着いた

お風呂、ストレッチ、アイシングで終了!
といきたいが 18:30からバドミントン

本格的に基本からやってます

ガンバ!おれ!

2012年3月26日月曜日

自分でルールをつくる

今回の退職は公になる前にはごく一部の人しか知らない 知らせていなかった
情報が多くの人に知られれば 漏れれるリスクは高くなる
漏れたところで大きな動揺がある訳ではないのだが・・・
止むなくそれは最少人数にとどめることを優先した

内示の直近になって職場以外の方々へ手紙ー(ほぼ通告のようなもの)ーを出した
業務も時間も淡々と経過して行った
年度末の大切な時期だったため 自分の仕事を滞らせる訳にはいかない
15日の内示日も大切な仕事を任せられていた
外部業者へ発注していたモノを無事納入させることができた

あとは個々の記録を残し 訂正を求められれば訂正する
周辺の個人情報を整理しながら 私物を片付けていく
意外と思うかもしれないが 机の上や中はいたってシンプルに整理されている
ほとんど余分なものは置かない

いつものように自分の仕事がサクッと終わったら休みをとって走って帰る
21日を最後に大切な仕事はほぼなくなった
翌日から年休をとっているが 残務整理があるので毎日出勤?
好きな時に行って仕事が終わったら帰ってくる
フレックスタイムみたいだ

金曜日の夜と土曜日の夜にありがたく送別会の連チャン
金曜日の1次会で美味しい純米酒をいただいて ブレーカーが落ちた
2次会のあとタクシーに乗せられマンションまで着いたが 
家にたどり着くほんの数10mで転倒してコートがぐしゃぐしゃだったらしい(息子の証言)
それでも翌朝は二日酔いの症状もなく至って元気な不思議な体
土曜日は、前日の反省を生かそうと少額とウィズユーカードをポケットに入れて出かけた
2時間の宴会でビール中ジョッキ2杯と赤ワイン3杯
ほとんど酔わずに終了(^^ゞ  ありがとうございました

と、地下鉄へ向かおうとすると
先生と一度じっくり飲んでみたかったんです と引きとめられる
やぁ~、すぐ帰るつもりで持ち合わせがなくてね。ごめん
でも、時間とってもらえますか?というもんだから
じゃ、月曜日に返すので割り勘なら行くよと返事をする
彼の行きつけの小さなイタリアンバール
赤ワインで行きましょう ということでフルボディ
ピクルス、プロシュット、パテ、ピッツァ
2本目ミディアムボディ

もっとうまくできなかったんでしょうか?真っ直ぐすぎますよね
性分というか、生き方というか
相手が誰であれ、理不尽なこと言う奴と不誠実な奴は徹底的にやる
それが上司だろうが年上だろうが関係ないんだね
一つ言えることは誠実な人には非常に寛容だということ
失敗をしてもカバーするし そのものを引き受けたりするスタイルなんだ
これは昔から変わらないよ だから敵、味方がはっきりしている
そこで大事なのは仕事で手を抜かないことなんだ
手を抜いていたら口だけ番長だよ(笑)

ま、あとは村上春樹の話になって
恥の方向性について語り始めたころには地下鉄終了
結局、万が一のための少額でタクシーに乗って帰ってきた

同僚から気持ちのこもったエールをもらいさらにプレゼント
ありがとう!まだまだ、元気に走るし、自転車で転ばないようにする

メールや電話で激励してくれたみんなありがとう!
全部が「hideさんらしい生き方だね」と・・・
大丈夫、自分はしっかりと前を向いて歩を進められる

それには、自分で自分のルールをつくり履行しなければならない
2日間休んでしまったランニングも早朝ランでリズムを取り戻す
今日、息子が本格的に自衛隊へ 固い握手で見送った
記念すべき日だった

また、内と二人の生活になったなぁと話す
だけども、俺には守らなければならないことが多くある
そして、やりたいことは多くありすぎる
だから今、あえて身軽になりたかったんだ

自分でつくったルールは自分が守る

2012年3月24日土曜日

感謝

昨日の新聞に人事異動の発表があったらしい
「あったらしい」というのは実際にこの目で見ていないからだ
家は「日本経済新聞」1紙  ローカルな人事異動は掲載されない

たぶん目にすることはない
退職者欄に  本名(hide)

過去ログに布石というものを打っていたのだが知る由もない
振り返ると31年間の教職員生活だった
満期の定年退職までは7年残すカタチになった

いくつかのメールや電話をもらった
心配してくれてすごく感謝している 本当にありがたい

でも、一番感謝しているのは理解してくれている家内
結婚して27年8ヶ月
よく我慢してわがままを許してくれたなと思う
その家内も不在のまま新聞掲載されたことがしっくりこない気がする
でも、今日韓国から帰国の予定
もう、インチョン空港を飛び立っているはずだ
もし、彼女が韓国語を話せるようになったら 
東アジア圏の言語4つくらいそこそこ話せるようになる

昭和56年3月 日本体育大学卒業
昭和56年4月 北海道静内高等学校定時制赴任(3年)
昭和59年4月        々     全日制課程へ異動(6年)
【剣道部監督】 
4年連続 全道高体連剣道大会出場
4年連続 全道新人剣道大会出場
初めて室蘭ブロックで男女個人優勝、女子団体優勝をさせる
昭和60年高体連全道予選(小樽市)で新田憲一選手が栄花直輝選手を破り3位となる

平成 2年4月 北海道豊浦高等学校全日制課程へ異動(13年)
同年 太田大助(後の内藤大助)入学
【陸上部監督】
5年連続 全道高体連陸上競技大会出場
5年連続 全道新人陸上競技大会出場
この時期に、順天大、筑波大(やり投げ北海道記録保持者)、早大(インカレ関東大会100m優勝)、仙台大出身(福島千里の恩師)の監督と交流を深め、指導のノウハウを知る
このころから、剣道のトレーニングを兼ね生徒と走り始める

平成15年4月 北海道琴似工業高等学校定時制課程へ異動(5年)

平成20年4月 北海道有朋高等学校通信制課程へ異動(4年)
【剣道部監督】
平成23年 全国定時制通信制課程剣道大会出場 
平成24年3月 同校退職

【洞爺湖武道館館長】平成12年から15年
全国道場連盟剣道大会小学生の部、中学生の部出場
全道スポーツ少年団剣道交流大会女子個人の部優勝
全国スポーツ少年団剣道交流大会女子個人の部敢闘賞(ベスト8)

自身、平成13年11月剣道七段合格
全道教職員剣道大会団体1部 3位1回
全道教職員剣道大会団体2部 優勝1回、2位2回、3位3回
全国教職員剣道大会団体監督 1回(事情により幻となる)

振り返ってみると ちょっとは熱心な教員だった

以下、内示前にお世話になった方々への手紙(原文)

時候のあいさつもなく、大変失礼な手紙で申し訳ありません。
火急に知らせなければならないと思いタイピングをしています。

3月15日に人事異動の内示があります。
私は、3月31日付で勧奨退職することにしました。

内示があれば、瞬く間に周知の事実として早晩耳に届くかと思います。しかしながら、今までお世話になった先生や同窓の方々に対して失礼にあたらないのかなと心のどこかで引っかかるところがあり、このような形になりました。重ねて、失礼身勝手な手紙を許していただきたいと思います。

振り返れば、31年間の教員生活でした。順調に定年を迎えるのが普通でしょう。ところが2年ほど前からぼんやりとこのままの生活でいいのだろうかと思い始めました。これは非常に大切なことです。自分の能力を過信する訳ではありませんが、落ち度もなく熱心な教員だったと思います。しかし、一度、現状の生活に疑問を抱き反芻して考えるとどうやら大切なものが欠落していることが分かりました。毎日が事務的に何の熱もなく、回し車の中を無意味に動き回っているだけです。

昨夏、恩師宅を訪れて、そのことについて相談しました。寂しそうな顔をして残念がっていましたが概ね理解してくれました。

性格上、一度決めたらあとに残すものは何もありません。夏休み中に職場長と相談し、もう少し考えてみたらどうかと慰留されましたが、そういうことで心が揺れることを嫌います。ですから、もう、半年以上前には決定されていました。

新しい生活が始まり、良い方向に生活ができるようになりましたら改めてご挨拶したいと思います。今後も今までと変わらずに接していただけたらと勝手なお願いになります。

4月になりましたら、小笠原諸島にトレッキングに行き、5月3~4日にモエレ公園で行われる「ほっかいどう24時間走」に出場することが決定しています。そのころには、剣道の朝稽古も再開できるものと思っています。

「冬来りなば、春遠からじ」あたたかい本当の春が近づいてきました。
皆さまのご健康を心からご祈念申し上げます。

平成24年3月
本名(hide)
敬愛する皆さまへ

次は何する?と当然ながら言われる
いくつかの選択肢はあるだろうと思ってる
その前に、今やりたいこと今でなければできないことをする時間に当てる
それが別な形の労働だったり、バックパッカーとして旅をしたり・・・
必ずすることは
俺と内の親孝行
津波で跡形もなくなった石巻の親父の実家を目にすること

今はそれしか言えない
長い間、支えて下さった皆さまとめぐり会えた生徒たちに

ありがとうございました



  

2012年3月22日木曜日

2人ででん楽

来週から入隊する息子とでん楽で呑んでる〓
俺の花押
また、携帯からお試し投稿〓
スマホにした方がいいのか悩んでる

今日は、古い携帯から(といってもこれしかないが…)投稿
何故こんなことするかというと、来月初めに「小笠原」に行くので
モバイルPC持っていくかどうか悩んでた
スマホじゃないので、どんなもんかなぁと・・・
とりあえず、簡単な投稿ができるのでこれでしのぐしかないな


あと、2ヶ月しないとモバイルPCの解約できないらしい
それを区切りにスマホへGO!といきたい

「小笠原」の宿もとれたのですごく楽しみ(^^♪
『おが丸パック』

あたたかいところでトレッキング三昧  一応スイムパンツも持っていく

2012年3月19日月曜日

ファンとして悲しい

今年の日ハムは期待できないと俺は見る
ダルヴィッシュが抜けたのは大きいが
なにより、ヒルマンから梨田、栗山へと監督が代わって行った

ヒルマンは、選手としては何のキャリアもないに等しい
欧米のスポーツのヘッドコーチの特徴として
名選手が名監督になることもあるが
若い時に自分が選手としての実力に見切りをつけて指導者の道を選ぶことがある
それが、ヒルマンだった 彼は指導者のプロとして育った

梨田は、選手としてのキャリアもあり コーチングもたたき上げである
いささか日本シリーズやクライマックスシリーズで
疑問符のつく選手起用や采配があったにせよ楽しませてくれた
この間に野手が育ってくれたのは大きいのではないか

さて、栗山監督である
俺はてっきり吉井理人が昇任で監督をするのではないかと思っていたが
期待外れであった  かれは、2軍の選手を育ててきている
監督を決めるのは球団幹部だから何を基準としているか分からない
栗山はというと選手というより解説者のイメージではないだろうか
もちろんヤクルトの現役時代を知っているが
どうもどんなプレーヤーだったのかはっきりと思い出せない
選手として、コーチとしてのキャリアは吉井が断然上

だから、何故栗山なのかと聞きたい

営業?

これなら肯ける
吉井なら開幕投手の大切さを知っているから斉藤は使わないだろう
去年の過去ログにもちらっと斉藤のウィークポイントを書いたが 
はっきり言って、今年も成長の跡が見られない 残念極まりない
逝去した西本監督が斉藤投手のウィークポイントを直せと梨田へ言い残している
それにもかかわらず、手つかずのまま開幕を迎える
斉藤を起用した責任は栗山が負う
でも、栗山は選手を見て斉藤を選んだのだろうか?
どうも目線が球団の営業を向いているようにしか見えない

去年も斉藤が投げるたびにスカッとしない思いがあった
これが杞憂に終わればいいが 俺の予想は大方当たる

去年のFAやポスティングで各球団の実力が混とんとしているが
2012ペナントシリーズ 日本ハムのAクラス入りは難しいだろう

熱狂的なファンは 初めて恋する思春期の少年少女のようだから
こんな投稿も否定されるだろうけど
大学時代に多摩川のジャイアンツグランドへ江川を見に行ったり 
TV中継でボールの球種やコースの配球を予想しながら見る
たたき上げの野球観戦ファンとしては納得しない

北海道日本ハムファイターズのファンとして(熱狂的とまでは言わないが…)
今日は非常に悲しい手紙をもらったような日になった

「おまえはバカだったね」と言われるシーズンを望む


明日は30LSDの予定

2012年3月18日日曜日

午後の最後の芝生

これも村上春樹の好きな短編のタイトル

今日は年に一度の晴れがましい日だった
僕が晴れがましいのではなく、送られるものが晴れがましい日

卒業式

一昨日からの動悸もおさまり完璧な熟睡で5時半に起床
風呂を追い炊きにして『午後の最後の芝生』を読む
時間がないのであともう少しというところで切り上げた

コーヒーにミルクを入れていつもどおりの時間を過ごす
唯一違ったことと言えば、朝食を取れなかったこと
炊飯器には米粒一つもなかった 昨夜、息子が全部食べたらしい

久しぶりに大丸であつらえた三つ揃えのスーツを出す
白地にスカイブルーのストライプの入ったワイドカラーシャツ
靴はリーガル ベルトはバーバリー
つまりはそれなりの服装をしなければならない
おまけに昨日は髪をバッサリと切ってさっぱりした

いつも寄る7-11でミルクエスプレッソコーヒーとカツサンドイッチを買う
早めに着いて職場で朝食を取りながら一日の準備を始める
とりあえずチーフっぽい

業務は淡々と事務的に進められる 何の問題もない
あちこちで「おめでとう」「ありがとうございます」と儀礼的な声が聞こえる
僕はというと当然ながら職業的な笑顔になっている  めでたい
でも、今日は3人と会うことになっている
式の前に2人と会ったが、これは何の意味を持たない ただの挨拶だけ

式が終わってようやく時間をとって話ができた
1人目は母親と一緒に話をした 卒業までに6年かかったと言った
去年も一昨年も卒業のチャンスはいくらでもあった でも卒業はしなかった
本人の仕事も忙しかったし 何より気持ちが向いていなかった
「長かったけどよくがんばったね」という
「ほんとに頑張ったんだから」と屈託なくいう
母親は傍らでほほ笑んでいる
「でもな、この時間は無駄じゃなかったと思える日が来るから」
「ほんとにそうかなぁ」という
「若いうちに挫折を味わって、元気になることが価値があるんだ。挫折を味わわない方がいいかもしれないけれど、挫折を味わった人は挫折している人を理解できる。だから、すごく価値があるんだ」
「ふ~ん、そんなもんかなぁ~」
「私ね、やりたいことがいっぱいあるし頑張れそうな気がする。今の仕事も頑張る。彼ともうまくいってるから今が一番いいかな」

ここで、きっぱりいう
「少し面倒かけられたけど、めんこいし、好きだったんだね。でもね、同じ年頃で一番好きなのは自分の2人の息子だよ。おそらく、お母さんも〇〇のことが誰よりも好きなんだ。いくつになってもね。お母さんを大切に!」と両手で小さな手を握る
カラーコンタクトの奥に微かな潤いがあった

2人目は1時間以上も話した
なかなか心を開かない生徒だった 本当は今年卒業のはずだったけど延期した
いろいろ話したけど、話の核心に触れた
「わたし、学校の先生って信用してなかったんだ。先生と会う時までね」という
「もしかしたら、それは1年次のリポートの返戻のコメントがきっかけじゃないのか」
「そう」と答えた
「今まで、自分が否定されてきたようなことばっかりだった。なのに、受け入れてくれたのは、先生が初めてだった」という
「先生という職業ははサービス業なんだよ」というと「えっ」と顔色が変化する
「でもね、たとえば商品を売るときに丁寧に熱心に売る人と数が売れればいいやと思う人がいる。俺はね。どちらかというとすごく熱心に商品を説明して売る方の人種なんだね。お客さんが多いとか、少ないとかの以前にね。非効率かもしれないけど、信用が生まれるんだ。だから、熱心に対応する。これは、昔から変わらないスタンスなんだ」
ぽろぽろっと涙が落ちる
そーっと肩を叩いて見送る 
困ったときに電話していいかと聞くから 「もちろん」と答える

3人目は剣道の相棒
「4年間お世話になりました。また、先生に会わなかったらこの子はどうなっていたんでしょう。神様は本当にいるみたいですね。」と母親がいう
「僕も相棒がいなかったら楽しくない4年間だったでしょうね。感謝してます。」という

道場へ行き最後の稽古をする
いつもどおり静まり返った道場だ
体操をして、素振りをして礼をする
切り返し、基本打ち、立ち合いの繰り返し
存分な打突の応酬 気持ちの入った最後の稽古
最後の立ち合いで3本勝負
ほとばしる汗 漲る力 あふれる気力
最後だからといって餞がわりに勝たせるわけにいかない
気を抜いた稽古 相手に花を持たせる稽古は意味がない
お互い全身全霊で打ちかかる 

最後は相棒の面を捉えて勝負あり 
かかり稽古と切り返しで稽古が終わる
「4年間よく頑張りました。君と会えてよかった。ありがとう」と感謝を述べる
そこには上下関係はない つまり、ノーサイド
お互いに認め合うところが4年間で築かれていた

しかし、彼は僕の防具を片付け、稽古着・袴を干し、面手拭いを手洗いする
道場に鍵をかけ廊下を歩き
「朝稽古でまた稽古お願いできますか」
「もちろん」

3人とも大勢とは馴染めないらしい
でも、僕とは馴染める、または僕を信用する
不器用なおっちゃんでも3人にとってはいいらしい

『午後の最後の芝生』のように僕は丁寧に仕事をする
丁寧に仕事をすればするほど 何故かことは歪み始める

大きな女主人が娘の部屋を見せてくれたように・・・。

2012年3月11日日曜日

いつまでも忘れない&断筆中

クリックするとあの衝撃が思い出される↓↓↓
Japan Quake Map

チームで3.11の追悼ラン
それぞれの思いを胸にしまって 黙々と走った

賛同して走ってくれた仲間に感謝!

天気はほぼ快晴だったが いつ何が起こるか分からない
肝に銘じなければならない


自然に抗うことはできない


諸事情により現在断筆中!
時間の経過を待って再開します
新しい自分に必要な時間に当ててます


jognoteに日々の記録が記入されています

2012年3月9日金曜日

それはショスタコーヴィッチだ

3月の中旬にさしかかる
極めて順調に春の訪れが気温というカタチで姿を現し始める
車道の路面はアスファルトの顔を出しはじめた
歩道はというと凍てついて固まった表層から、ザラメ状に変化をとげている
強い日差しがさらに雪解けの速さを加速させる
あるところは水たまりになっている

さすがに年度末となると忙しいが
仕事にきりがついたところでスパッと休みを取る ダラダラはごめんだ

昨日は車出勤してラン帰宅
今日は当然ラン出勤 久しぶりに石狩街道へ出てみた
割合と天気が良く遠方に暑寒別岳を主峰とする山並がみえる
気持ちよく走っていた矢先
歩道にできた「ブラックアイスバーン」に足を取られて転倒寸前
何とか左手で支えた 朝からたっぷりの汗が気持ちいい


今日は昨日の提出した書類が戻ってくるはずなのだが
係に聞くと「今日はたぶん間に合わない」ということだった

早引き

DEPOに寄り、バドミントンシューズ購入して帰宅
クリームシチューで昼食を終える
ベッドに横になりながらカーヴァーの『父の肖像』を読んでいるうちに眠りに落ちた

どこかで「いけない」という声がする
目が覚めると14:30だった 「北海道近代美術館」へ行かなきゃと思う
急いで身支度して地下鉄に乗り『ヨーロッパ版画の巨人たち』を見学
残念だが当然写真撮影禁止ときている
題材が宗教的なものから世相を反映するものやシュルレアリスムまでさまざま
よく分からないが手法もさまざま 年代を重ねるごとに奥行きや濃淡で表現される
ピラネージとう作家の作品は非常に精緻にできている
ヨブ記の『ベヒモトとレヴァイアタン』も面白い(少年ジャンプネタだが)
オノレ・ドーミエという作家は『ジブリ』の作品のようなタッチだった
クリンガーという作家は「社会の負の面に対するまなざし、社会批判を越え人間の実存をめぐる深い洞察、普遍性のある表現」と説明があった
その他、ムンク、ピカソ、シャガール、ダリなど
これだけの作家の版画を見られるのはそうはないだろう
今日は休んで行って良かったと思う
いつもは特別展示を見に行くことが多く入口の真正面が臨時の売店になることが多い
だからこんな作品が壁面にあることすら知らなかった


そういえば、ときどき思い出すクラシックの旋律
どうしても思い出せなかったが
確か村上春樹の短編か何かを読んでいて「ショスタコーヴィッチ」の名前が出てきた

そうだそれはショスタコービッチの『交響曲第5番』だ

LPで持っていたが今は家にはないし、レコードプレーヤーもない
今度CDでも探しに行く

今日からしばらく1人暮らし
息子がつくって行ったクリームシチューが残っているので
フランスパンを買ってきた
赤ワインでも開けてこれから夕食

2012年3月4日日曜日

物事は変更する

昨日の早朝 内が韓国へ行った
高麗大学の「韓国語特別過程(春)」に参加するということらしい
家にも密かに韓流ブーム  どおりで毎夜、自室で熱心にDVDを見ているわけだ

お陰で 俺が企画した『小笠原の自然をたっぷり楽しもう』企画は1人旅となる
航空会社のマイルで行くが 3月31日まではハイシーズン 4月1日からローシーズン
6000マイルも違うので4月1日(日)に札幌出発

東京往復0えん、  ホテルは浜松町の安手のホテル
ところがまだ小笠原への乗船予約ができないでいる
小笠原海運が土、日、祝は営業していないらしい
ネットで予約もできないらしい  さすがに『東洋のガラパゴス』だなと思う

ホテルを探したがなかなかお1人様の宿は限定されているらしい

ん~なんともしがたい

そんなことを天気の悪い午前中にしていたら 午後にパッと陽が差してきた
「よっしゃー」ということでランバックに着替えを詰めて出かけた
いつもの三角山を目指してから 北1条宮の沢通りに入る
風は強いがさほどのものではない 
暦の上では春 陽が差しているところは雪解けが始まる
藻岩山麓通りを息もあがらず(といってもあがらない程度なんだが…)
旭丘のパン屋さんル・コパンでちょっと休もうかと思ったが 
お客さんがいっぱいいて汗だくの関係上スルーせざるを得ない
藻岩山再アタックも考えたが ノンスリップパッドを忘れて断念

結局はそのまま走り続けたが藻岩山麓通り終点近くから吹雪に変わった

母のところに寄り様子を見る
「あと、1週間だね」などと話しても今一つ表情がない
あたたかいコーヒーをいただきながら 1時間ほどいた
「また、来週ね」というと
「うるさい」と言われた
もう一度「また来るね」と言ったら
「はい」とだけ答えた
これが唯一の会話らしいものだった
母のところから環状通を道なりに進む  
相変わらず吹雪は続く  豊平川を渡るころが一番ひどかったか
R36を横切るとそこから未知のエリア
地下鉄の白石駅付近の7-11で草大福とエナジードリンクを補給
JRの跨線橋を越え 石狩川を渡り とにかく帰宅できる方向の標識を探す
東区に入ると雪は止んだが強風に見舞われる
やっと『北海道大学⇒』の標識を見つけてホッとするが距離表示がない
「あと、なんぼ走ればいいんですか?」と思う

何とかこんなルートで帰ってきた

そして、3月3日は大切な友人の1人の記念すべき誕生日だった


今日は かねてから楽しみにしていた『デサント』のセール
会場は白石区の「コンベンションセンター」  もちろん走って行った(笑)
晴天に恵まれたけど 昨日より気温が低かったか
北大の博物館で記念イベントが開催されていたのでちょっと寄ってみた
開学135周年らしい

よく分からないのだがとりあえずぐるっと一回り
「鈴木章教授」のノーベル賞『クロスカップリング』の説明もあったがさっぱり分からない
分かったのは 人の役に立つ立派な研究をされたこと
ここですっかり体を冷やしてしまった
博物館を出て走りだしたが なかなか体が温まらない
何とか「コンベンションセンター」まで着いたので

近くのイーアスで昼ごはん代わりに甘味をいただく
黒ゴマムースとシュークリーム294えん  これで昼食終了

コンベンションセンター内でちょっとした買い物をしてまた走って帰ろうとしたが
冷え切った体は最後まで走ることを拒んだ

加えて今日は 近代美術館と紀伊国屋へ寄る予定で出て行ったのに
2つともキャンセルして 地下鉄で直行帰宅した

風呂に入って本を読みだしたらとたんにまどろむ

息子と夕食を取ってベッドで本を読み始めたらいつのまにか寝ていた  夕寝?
中途半端に寝たので今は眠気はない