昨日「1Q84」が英国で翻訳されたというニュースがあった
別にそれは驚くことでもないんだが
そのときに新潮社の公式サイトを覗いたら
動くパーツがあったのでHTMLの編集で入れてみた
サイドバーにでも貼りつけてみるかと試みたけど
どうやらbloggerにはそういう設定はないのか
自分に腕がないのか貼りつかない まぁいいや
いつものように何かしらの本を手にとって読むのだけれど
パッとした変化はない
本屋にも行ってないしね
今はカーヴァーの再読が多いかな
理由はいろいろあるけど 最初は流し読みみたいな感じ
小説全体の流れをつかむ感じ(特に長編はそうする)
2度目は咀嚼するように そこに何か含みがないか読む
気にいったものは3度以上読んで布石が打たれていることに楽しみを感じる
『1Q84』はもちろん3度読んだ
他にもたくさんあるけど、きりがない
『Carver’s Dozen』 短編集
風呂で読んだり 食卓で読んだり ベッドで読んだり
本にとって幸せかどうか分からないけど脂じみもついて よたよた(笑)
再読しているときにふと気づいたけど
1篇々はもちろん興味をひくものだけれどオムニバス的なところを感じる
凄いなぁー
特に最後の2つの短編+エッセイ+詩
「ささやかだけれど、役に立つこと」
「使い走り」
「父の肖像」
「レモネード」
これは全部人の死が絡んでくるのだけれど
悲しみだけでは終わらない温かみがありカーヴァーからの贈り物のようである
これも編者の能力で改めて 凄いなぁーと思う
自分の本には蔵書印を押すことが多い
世話焼きさんに「蔵書印を押すと値が下がるよ」と言われたけど
最初から売る気がないからいいんですよ
再読主義者なんだから・・・(単に記憶があいまいなだけで読み返すが)
最近は蔵書印の代わりに京都の業者に発注してデザインしてもらった「花押印」を押す
花押を見るのも趣味の一つで鎌倉に行ったときには頼朝の花押を見た
上京すると北の丸公園にある「公文書館」に行くことが多い
ここには時の為政者たちの花押があって花押好きにはたまらない
最後にまたタイトルからちょっと道がそれた
ほぼ1週間近くウォーキングもしない、チャリにも乗らないことで
足がよくなってきたような気がする
とにかく、もう少しだと思う
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