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2011年12月25日日曜日

クリスマス

キリスト教徒にとっては大切な日なのでしょう
私にはよく分かりません
しかし、父母は改宗してプロテスタントです
父はもう他界しました
母は今、キリスト教徒いう意識はないのではないかと思います

一昨日、私が母をたずねました
今日は兄が、明後日は弟がたずねるはずです
一度に行くと母が混乱する訳ではありませんが、周りが何かと気を使います

仏教や儒教の本は読むのに、キリスト教の本は全くありません

父がなくなったときに配られた次第にある『聖書のことば~抜粋』だけです

【ピリピ人への手紙3章】
「けれども、私たちの国籍は天にあります。
そこから、主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを私たちは待ち望んでいます。キリストは万物を従わせることのできる御力によって、私たちのいやしいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えて下さるのです。」

【ヨブ記1章】
「私は、裸で母の胎から出てきた。また、裸で私はかしこに帰ろう。
         主が与え、主が取られる。主の御名はほむべきかな。」

【伝道者の書3章】
「天の下では、何事も定まった時期があり、すべての営みには、時がある。
神のなさることは、すべての時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられました。
しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで、見極めることができない。」

【ヨハネの福音書3章】
「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びる事なく、永遠のいのちを持つためである。」

【ヨハネの福音書11章】
「わたしは、よみがえりであり、いのちです。
            わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。」


これらの『聖書のことば~抜粋』が今日投稿するのがふさわしいかどうかも分かりません
あとで顔から火が吹く思いをするかもしれません
しかしながら、家には聖書がありません
信じるならば父は、良煕兄と本名でいるはずです
父からもらった名前でいくのもわるくないなと思い始めています
その前に、じっくり理解しなくてはならない

幼いころ、25日の朝目覚めたら 枕元にプレゼントが置かれていました
父母の愛がいっぱい詰まったものだったんですね
母の部屋の入口に「クリスマス・リース」が飾られていました

『1Q84』再読しています BOOK1~P202
青豆が「question mark」のQと決めました

思えば、この年に私は結婚をしています
旅行で層雲峡の黒岳に登った覚えがあるし、忘れようがありません
黒岳は標高1984mなんですから・・・

父母が非常に喜んでくれたことを思い出します

不思議なものですね
また、とりとめがありませんでした

アーメン

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