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2012年8月8日水曜日

つながり

先週初めまでの猛暑が嘘のように
湿度が低くさらりとしたそして25℃以下という
非常に過ごしやすい日々の札幌
空を見上げるとどこまでも青い
昨日は遠くからも手稲山から藻岩山までの稜線がくっきりしていた


記憶はたしかでないがおそらく5月の連休前に大学の先輩から電話があった
先輩と言っても剣道部だけで同期が約50人
先輩が約150人の大所帯な訳だが
1年間を他の部活と共同生活をする寮生活を終えると
3つある剣道部の自治組織の合宿所に入る
さらに合宿所の中ではお世話をする先輩から
ドラフト制度のように指名されて文字どおり24時間寝食を共にする
8畳部屋に5人の共同生活が行われた
3人の先輩に対して2人のお世話係
これを「部屋っ子」という
ただ、同期が家の事情で夜にアルバイトをしていたので
実質3人の夕方からのお世話をしたのはオレ1人だった

部屋っ子の朝は先輩より早く起きて朝稽古の支度をし
「お時間です」と声をかけて道場へ行き朝稽古のする
稽古が終えたら防具を干して汗をかいた道着を防具袋へ入れ合宿所へ帰る
日中は食事当番がない限り授業へ行くのだが
その合間を縫って、道着を干しアイロンをあてる
週に2回は、授業を合わせて3回の稽古があった学校だから、息つく暇もない
夕方の稽古が終ると防具を干し道着を防具袋に入れてまた合宿所へ帰る
夕食の前に3人の風呂道具と着替えを持って銭湯へ行く
3人分の洗い場を準備して3人分の背中を流す
「いいよ、自分が洗ったらええ」と言われて、ささっと洗い終える
脱衣所で濡れタオルや着替えをもらい合宿所へ帰る
夕食をとり9時の点呼まで洗濯をしたり、道着の手入れをしたりする
点呼が終わると「酒とつまみ買ってこい」と言われたり「飲みに行くぞ」と言われる
そういう日常にかかるお金はすべて先輩が支払う
飲み会が終わったら「マッサージ」の声がかかる
ここも3人分する
3人から「消灯」という声がかからないと眠られないシステム
こういう生活に馴染めなくてあとあとまで苦い経験として語る者もいるが
厳しさの中に情があふれて嫌じゃなかった
ただ、この期間は布団で寝ることはなくこたつで寝ていた(笑)


「もしもし、わしや。わかるかわしやで」
携帯の着信でもう名前が分かっているのだが
あらためてその声を聴くと間違いなく岐阜の先輩
「なんかあったんか?いろいろ心配しとったで、どないする」と
ま、いろいろ近況やらを話し終えて
「わし、夏休みに北海道旅行に行くんやけど、おるか?」
「8月の第1週の土曜や。嫁も同期会があってついでに行くんや」

そうは言ってもオレを気遣って様子を見にくるに違いないと思った

10数年前、剣道スポーツ少年団の全道大会で中学生女子の部で個人優勝させた
全国大会は岐阜県大垣市で行われた
引率で岐阜に行きますと連絡したら、わざわざ時間をとって一緒に呑み
また、大会会場でできるだけいい場所で観戦できるように便宜を図ってくれた

数年間も連絡を取らなくても大学時代に濃密な生活をしたことで
お互いの性格やら考え方の深層がわかってくるらしい

今回の来道にいたって連絡が来たが
ちょうど家内も1ヶ月ほどソウルの高麗大学へ短期留学しているので
自宅へ泊っていただけないかと快諾を得た
8月4日(土)夕方、JR琴似駅へ迎えに行った
すっかり頭は白くなっていたが声の張りや肌艶は若々しい
自宅へ案内してからちょっとした観光へ行こうとしたが生憎の天気だった
「ええで、ええで気ー遣わんで」
ということですぐに安着祝いのビールを飲む
自家製のイカの塩辛や日高沖の時鮭、たこ、鵡川産のシシャモで飲む
帳が下りる前のまだ日が落ちる前に「外いこう」ということになった
たわいのない話や先輩が大腸がんになった話
それぞれの子どもの話などなど
そこには時間の隔たりが全くなく、つい昨日も会ってましたという感じだ
自宅へ帰ってから、岐阜の同期に電話し
ほとんど内容を覚えてない状態になったが自宅なので安心だ
そのうち、次男が四国から帰省してきたので3人で飲んだ
「もうたくさんや、寝るで」という合図で宴もお開き
34年前となにも変わらない時間だった

おそらく、お互いに腹に持っているものを語り合ったと思うが
翌朝には何事もなかったように琴似駅まで見送りに行った
小樽、積丹、羊蹄山麓、洞爺湖、昭和新山、登別、支笏湖を夫婦で巡り
「いろいろ世話になりありがとう」昨日メールがあった

退職をしたときに同期や部屋っ子が電話をくれたり
先輩が激励のはがきをくれたり
四国へ行くときに必ず寄ってねと連絡をくれた同期
おそらくは形に現れたり現われなかったりしてもつながりを感じる
また、上京する時には決まって数人が集まってくれる


もう、そんな合宿生活経験は100%経験できないが
一時期でも心通わせた人のつながりというものは
浮遊しそうな心の移ろいをしっかりと楔として生きている
それは家族のものとは別個のものとして・・・
お元気で



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